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びん・かんゴミだけに


「あ、捨て忘れた」
 仕事が終わり、会社の自転車置き場についたところで私は、ポツリと呟いた。
 今日は、びん・かんのゴミ回収の日だった。これで何回目だろう。朝、忘れないようにと玄関まで持ってきていたのに。靴を履いて、そのまま出て行ってしまった。
 この街には、就職を機に引っ越してきた。言い訳ではないが、地元とはゴミの回収方法が違う。そもそも、びん・かんは他のゴミと比べて量が少ないのでどうも忘れがちだ。
「ま、いっか」
 一人暮らし故、誰かに迷惑をかけるわけでもない。私は自転車に跨り、家路を辿った。
 
 アパートの駐輪場につくと、桜の花びらが頭上を舞っていく。ヒラヒラと風に乗って。
 それを、手で掴もうとする三歳ぐらいの男の子と、その親。微笑ましい光景だ。
 暖かい季節になると変質者が増える、なんて話をよく聞くがこの辺りは治安がいい。夜道も比較的安心して歩ける。──そう油断していた。
 鞄の中から鍵を探しながら、自分の部屋へと歩を進める。キーホルダーのついたそれを見つけて、鍵穴に差し込み、ドアノブを押した。
「ただいま……」
 鍵を閉めながら、つい癖で口にしてしまう。誰も返事をしてくれないのに。
「おかえり」
 え? おかえり?
 私は動きを止めた。心臓が、ドクンと大きく跳ねる。恐る恐る、スローモーションで振り返った。
 知らない人間が、家の中にいる。男だ。
「また、捨て忘れたね?」
 目の前で仁王立ちする男性は、にこやかにそう言った。胸元に、大きく『びん・かん』と書かれたパーカーを着ている。
 私の視線は自然と床に向いた。今朝、置いたはずの場所にゴミ袋がない。『びん・かん』のゴミ袋が。いや、まさか。
「本当は、おれだってこんなことしたくなかったんだけど」
 男の声が、低く響いた。
 冷たい眼差しに、私の身体が硬直する。上手く、言葉が出てこない。喉が、締め付けられたように。
 私の人生、これで終わり?
 別に、成し遂げたい大きな夢があったわけじゃない。自宅と会社を往復するだけの、昨日と今日を入れ替えたって気づかないようなつまらない人生。
 でも──怖い。 とても、怖い。
 男の腕が伸びてくる。来たる衝撃に備えて、力強く目をつぶった。
 鈍い音が轟く。
「今日から、ここはおれの家です!!」
 男の宣告が響き渡った。
 そっと目を開けて状況を確認する。彼は両腕を広げ、玄関の壁に手のひらをついている。こちらに飛んでくると思っていた攻撃は、壁面に向けられたようだ。
 思っていた展開と違いすぎる。頭がついていけない。
「もーう、怒った!! 一体、いつになったら捨てるわけ!?」
 男が眉を吊り上げた。言葉には、確かに怒りが込められている。それは伝わる。
 けれどこちらに危害を加えるような素振りは、今のところまったくない。
「……はぁっ、はぁ……」
 力が一気に抜け、その場にへたり込んだ。お尻が床にぺたんとつく。
 どうやら、呼吸を止めていたようだ。手が小刻みに震えている。まだ何が起こるか分からないのに、安心感で身体が緩んでしまったようだ。
「え!? だ、大丈夫!?」
 慌てた様子で、彼が私の近くにしゃがみ込んだ。そして、優しく背中をさすり始めた。変な人いや、人かどうかも分からないけど。
 震える手でカバンの中からペットボトルを取り出した。フタを開けようとするが、上手く開けられない。
「貸して!」
 伸ばされた手に、ついつい渡してしまう。彼が代わりにフタを外してくれた。
「ありがとう……」
 私は、小さく呟いて、お茶を口に含んだ。
 何度か、深呼吸を繰り返す。少しずつ、落ち着きを取り戻していく。
 それを確認すると、彼はまるで台本があるかのように定位置に戻った。そして、再び通せんぼ。両腕を広げて、廊下を塞ぐ。
「おれは、一体何度ほかのゴミを見送ればいいの!!」
 突然、お気持ち表明が始まった。
「新入りが入っては、先を越されの繰り返し……! この気持ちが、わかる!?」
 ゴミに新入りの概念あるんだ……?
「そ、それは謝りますけど……」
 言い返す気力を少しずつ取り戻してきた。
 よろよろと立ち上がる。膝がまだ少し笑っていた。
「ここは私の家です! あなたには、渡せません……!」
 精一杯の声で宣言した。
 愛想笑いしながら嫌味を流したり、全く関係ない業務のミスに謝罪をしたり、とにかく働いて受け取ったお給料。決して高くない給料から家賃を引かれ、暮らしている。こんな正体不明なものに、取られるわけにはいかない。
 彼はフンと鼻を鳴らした。
「だったらおれを、倒していきなっ!!」
 まさか、私の人生に『ラスボスを倒す』展開が訪れるとは。
 どうしよう?
 傘で叩く? ヒールで刺す?
 そもそも、相手は武器を持っていなさそうだ。
 ここは……丸腰で勝負。
 私は決心して、身体を低く屈めた。そしてお腹めがけて、全力でタックル。
「ぬぉっ!?」
 彼のうめき声とともに二人で、廊下にバタンと倒れ込んだ。あんなに余裕そうな態度だったのにあっけない。私に組み敷かれる態勢になった。
 そうか、彼は人間の形になっただけ。本当の男性のように、力があるわけじゃないのか。
「くそぉおお! どけよぉおお!」
 私の肩をポカポカと叩いてくる。
 その力加減はお孫さんが、おじいさんに肩叩きをしているぐらい。いや、まだそんな歳ではないから、実際には分からないけど多分、そのくらい。とりあえず、痣にはならないだろう。
 抵抗する彼の両手首を利き手でギュッと握った。そのまま頭上に持ち上げる。あまりにも簡単に拘束できたことに、拍子抜けしてしまう。
「くそぉおお!! はなせぇえええ!!」
 もはや負け犬の遠吠えにしか聞こえない。
 さて、 これからどうしよう。
 グーパンチ? ビンタ?
 こんな修羅場は初めてなので正直対応に困る。
 私は、改めて彼を観察してみた。
 憤りからか眉も目もつり上がっている。けれどなぜだか、愛らしく見える顔立ちだ。優位に立った、というのもあるだろうが。パーマがかかった金髪が映えるくらい、色白。長い首が目についた。
 無意識に、私の指がその首筋を軽くなぞっていた。
「ひゃあ!?」
 鼓膜を突き抜けるような高い声に、私は肩を跳ねさせた。
 この反応……もしかして。
 私は、一つの答えに辿り着いた。
 人間でないにしても、暴力を振るうのはやっぱり嫌だ。かといって、このまま解放すれば何をするか分からない。それに──もう一度可愛らしい反応をみたい。
「……くすぐったい?」
「くすぐったい……?」
 彼は首を傾げながら、同じ言葉を疑問形で返してきた。『くすぐったい』という感覚が分からないのか。
「うひゃっ!? ひゃっ、ははは!!」
 猫をあやすように、指先を首筋へゆっくりと這わせた。
 彼は首を縮めようとしたり、顔を背けたりする。けれど意味をなさない。私の指は、追いかけるように動き続ける。
「笑いたくて仕方ない衝動……かな」
 説明を試みるものの意味を教えるのって、案外難しいものだ。指先を動かしたまま私は、じっと彼を見つめた。
「くすぐったい?」
「うひひっ……! くすぐったいっ、くすぐったいぃい……!! あっ、ひゃっはは!!」
 彼は必死に覚えたての言葉を繰り返している。笑いながら、何度も何度も。
「……びん・かんだけに、敏感なんだ」
 言葉にしてから気づいた。
 しょうもない。しょうもないダジャレを口にしてしまった。
 耳に熱が集中する。ただ、唯一聞き取れたであろう人物は、未知の刺激で一杯一杯のようだ。良かった。
 一旦手を止めた。
 彼の乱れた息が玄関で響く。ハァ、ハァと必死に、酸素を取り込んでいる様子だった。
「……来週、必ず貴方を捨てます。どうか、帰ってもらえませんか?」
 私は、できるだけ真摯に尋ねた。
 人間の見た目をしているのに、『捨てる』という言葉はなんだか、ふさわしくない気がした。けれど、他に言いようがない。
「か、かえらない……ぜったい……」
 彼は荒い息のまま、鋭い目つきで私を睨みつけてくる。
「じゃあ……貴方が帰るまで、くすぐりますね」
 私は、静かに宣言した。パーカーは生地が厚そうだと判断し、片手をこっそりと服の中に忍び込ませた。
「んひぃっ!?」
 脇腹を親指と他の指で挟んで、揉んでみる。無駄な脂肪のないお腹。痛みを感じさせないように、優しく優しく。
「ふっ、はははは!!」
 彼の笑い声が、さらに大きくなった。
 首元をくすぐっているときより、明らかに大きな反応だ。骨盤の少し上あたりを、親指を食い込ませるようにモミモミする。
「ひきょうな……っははは!! こ、こんな攻撃にっ、んひひひ!? 負けないからぁっ、はははは!!」
 強気な言葉とは裏腹に、彼はエビのように身体を折り曲げる。その無様な姿はラスボスではなく、ボスの取り巻きですぐ負ける敵キャラみたいだ。
 私は、指先をゆっくりと上へ移動させていった。人差し指と中指で、横腹を行ったり来たり。往復させる。
「んふふふふ!!」
 彼の笑い声がくぐもったものになる。
 通りすぎて今度は、肋骨を人差し指で一本一本、丁寧になぞってみた。
「くっ、ひひひ!?」
 声が、また変わる。
 おそらく、全ての骨をなぞり終えたところでさらに上へ。
「うっひゃあ!?」
 彼の腰が勢いよく持ち上がった。
 ちょうど、胸の付け根に到達した瞬間だった。
「それだめ!! ほんとだめっ!!」
「それって?」
「そこ、優しく触るのっ……ひゃっはは!?」
「こういうこと?」
 私は、腋の中央に親指以外の指をくっつけて、軽く触れる程度の力で、搔くように動かしてみた。わざわざ弱点を露呈してもらえてありがたい。
 無駄毛のない、ツルツルとした腋。いくらでも、触っていられる。
「ぃゃっ、ははは!? むり、それむりぃっ、ひひひひ!! やめっ、ぅひゃっ、はははは!! えへへへへへ!?」
 面白いぐらい彼は悶えた。
 紅潮した顔。大きく開かれっぱなしの口から、涎が垂れ落ちる。振り乱す頭から汗が飛び散る。
 数分前の怒りに満ちた彼はもういない。
「もっ、もうゆるしっ、んへへへ!? あっ、はははは!! くるじぃっ、ひひひひ……ひゃっ、はははは!!」
「やめてほしいですか?」
 彼は思いっきり、頭を縦に振った。何度も、何度も。
「じゃあ、降参します、って言ってください」
「こうさ、んっ、ひひひひ!? まって……っははははは!! 動かしちゃだめっ、ぇへへへへへへ!! うひひひひっ!!」
 ほんの数センチ指を、上に移動させただけ。それだけで、拍車をかけたように笑い転げる。
 自然と私の口角も上がっていた。
「降参します、って言わないとこちょこちょやめませんよ?」
 私は、彼の耳元にそっと顔を近づけた。
「こちょこちょこちょ……」
「ぶっ、はははははは!! それやだ、ぁっ、はははは!? いわないでっ、ぇへへへへ!!」
 彼は首を激しく左右に振った。
 腕を下ろそうとする力が強くなる。仕事の備品整理で培った筋肉でなんとか押さえつけた。まさか、ここで役に立つとは。
「こちょこちょこちょー」
 耳元で囁き続ける。
「やめでっ、ぇへへへへ!! くすぐったいがらぁあっ、はははははは!? ひゃっ、ははははは!! こ、こうっ、へへへへ!?」
「降参しないんですか?」
 ​腋の最深部、一番柔らかい場所に指先を潜り込ませ、ピアノを弾くように細かく弾く。
「ぶっ、はははは!! ぃやっ、ははははは!? うひっ、いぃひひひ!? うへへへへ!! ひゃぁっ、はははははははは!!」
 もう意味のある単語さえ出ない。彼は呼吸の仕方を忘れたかのように笑い狂っていた。涙でぐしゃぐしゃになった顔を振り乱し、必死に私から逃れようと、足がバタバタと無意味に空を掻く。
 このまま続けたらどうなるのだろう。そんな好奇心に、少し惹かれる。けれど、そもそもの根源は私にあるのだから、これ以上は可哀想だ。
 私は、指先を腋から離した。そして、首筋へと移動させる。途端に彼の腕の力が、ガクンと抜けた。
 彼の身体は小さく痙攣している。余韻がまだ残っているようだ。
「……はぁっ……こうさん……んんっ、こうさんします……んっ……」
 か細く震える声で、彼は全ての終わりを告げた。

 降参宣言から、もう数時間が経った。
「……いつ元の姿に戻るんですか?」
「回収日の前日には戻るよー」
 ​彼は私のベッドに勝手に腰掛け、飄々と言ってのけた。つまりあと一週間は、この奇妙な存在と共同生活、ということか……。
 思わず、ため息が漏れた。いや、悪いのはちゃんと捨てなかった自分なのだけれど。
「ってかさ、てかさー」
 彼が突然距離を詰めてきた。
 顔が近い。普段、男性と触れ合うことが少ないので無駄にドキドキしてしまう。
 相手は、びん・かんなのに。
「びん・かんだけに敏感、って言ってなかった? しょーもなぁ!! はははっ!!」
 ​彼はシーツを叩いて爆笑している。目尻には涙が浮かばせて。
 顔が熱くなるのを感じ、思わず歯を食いしばる。もう一回……今度は泣くまでくすぐってやる。そんな決意を胸に抱いた。
👏パチパチ

単発