くすぐりフェチのお嬢様と執事 「何かお困りごとでもおありですか?」 銀のティーポットを傾け、優雅に紅茶を注ぎながら問いかける。琥珀色の液体が白磁のカップに満ちていく音だけが、静かな午後の部屋に響く。 読書をされていたお嬢様が、ゆっくりとこちらに視線を向けた。いつもなら本から目を離さないのにも関わらず。「どうして?」「最近、上の空のようでしたので。今も同じページばかり読まれているようですし」 声のトーンを慎重に選ぶ。詮索がましくなく、しかし関心は示して。お嬢様は本を閉じると、不満げに口を尖らす。「お父様に探るよう言われたんでしょ」 ギクリ。動揺が表に出ないよう、すぐさま口角を上げる。カップをソーサーに置く手がわずかに硬くなったが、音は立てなかった。 まさしく御名答。数分前、書斎で旦那様から『娘の様子が最近おかしいんだ! 男か? 男ができたのか!? キミ、聞いてきなさい!』と血相を変えて指示を受けたばかりだった。紅潮した顔で机を叩かれる様子が脳裏に蘇る。「いえ、私が心配なだけです。お嬢様に何かあったのではないかと」 努めて穏やかに、しかし誠実さを込めて言葉を紡ぐ。 疑いの眼差しを向けていた彼女の瞳が揺れ、やがて目を伏せた。長い睫毛が影を落とす。そして──二人しかいない自室であるにも関わらず、きょろきょろと周囲を気にする素振りを見せた。これは大層なお話が聞けそうだ。 小さく深呼吸をしたお嬢様が、か細い声で囁くように言った。「……ぐり、ぐらって知ってる?」 予想だにしない質問だった。まだ子どもらしさが残っているのだと、思わず吹き出しそうになるのを堪える。「もちろん存じております。昔よく読んで……」「違うの」 彼女は両手の人差し指同士をつんつんと突き合わせながら、もじもじした様子で付け足した。普段の凛とした佇まいからは想像もつかない仕草だ。「……くすぐりたい、くすぐられたいってこと」 一瞬、言葉の意味を理解するのに時間がかかった。なるほど、くす『ぐり』たいとくす『ぐら』れたいを組み合わせた造語なのか。そんな嗜好を、国民的な絵本を連想させるような言葉で表現していいのだろうか。いや、今はそんなことより──。「それがどうされたのですか?」 できるだけ平静を装って尋ねる。 お嬢様は意を決したように、震える唇を開いた。「興味が、あるの」「……ほう」「小学生の時にね、クラスの子たちがくすぐってじゃれ合ってて……それを見たときにね、胸がキュンとして」 視線は宙を彷徨い、遠い記憶を辿るように。声は次第に小さくなっていく。 フェチに目覚めたということか。まさか悩んでいる原因がこれだったとは。旦那様にどう報告するべきか。『男の影はございませんでした。ただし……』と続ける勇気はない。 ぐいっと袖を引かれる。白い手袋をした小さな手が、必死に制服の袖を掴んでいる。下を向くと、お嬢様が潤んだ瞳でこちらを見上げていた。「私の相手をしてくれない……?」「お相手、ですか」 努めて冷静に反芻する。心臓の鼓動が早まるのを感じた。「今、この欲望で頭がいっぱいなの……お願い」 か細い、しかし切実な声。普段は決して見せない弱さが、そこにあった。 主と仕える者。一線を越えるような真似は許されることではない。だが──。 静かにお嬢様の華奢な肩に手を置く。温もりが白い手袋越しに伝わってくる。そう、これは命令だ。執事として、断ることなど許されない。「仰せのままに」「これで完成ね」 彼女の声が弾む。普段は落ち着いた令嬢らしい声音とは打って変わって、子供のような無邪気さが滲んでいた。 純白のキングベッドには相応しくない黒革の拘束具が、身体を容赦なく縛り付けている。いくら手足を動かそうとも、X字の形から逃れることはできない。革が軋む音だけが虚しく響く。 お嬢様が真上から覗き込んでくる。艶やかな髪が肩から零れ落ち、整った顔立ちが視界いっぱいに広がった。そう、拘束されているのは私なのだ。私なのである。「……お嬢様。一応確認ですが、ポジションにお間違いないでしょうか」 できるだけ冷静に、しかし僅かな期待を込めて尋ねる。もしかしたら順番を間違えただけかもしれない。 彼女はきょとんと首を傾げた後、花が綻ぶようににこやかな笑みを浮かべた。「ええ。だってわたし、ぐりだもの」 その無邪気な笑顔が、今は悪魔のように見える。 ため息が出そうになるのをぐっと飲み込む。喉の奥で小さく音が鳴った。非があるのは己だ。お嬢様が『ぐら』であると、根拠もなく勝手に決めつけていたのだから。 別に、最初からくすぐられる側だと知っていても受け入れていた。彼女の柔肌に触れたかったわけではない。バレたらただでは済まされない行為を、乱れる姿が見られるという不埒な期待から了承したわけでは──。いや、正直に認めよう。決して高潔な動機ではなかった。「どうかした? 顔が赤いわよ」「……いえ。お嬢様が攻め手とは想像しておりませんでしたので」 言い訳がましく聞こえないよう、できるだけ平坦な声で答える。「やだ、私はくすぐってほしいなんて頼む変態じゃないわ」 胸を張って言い切る彼女。その凛とした表情には、一点の曇りもない。 成人男性を拘束してくすぐりたいというのも大概変態では? という言葉を、必死で飲み込んだ。主人に対して口に出せるはずもない。 というか、そもそも拘束具を一体どこで手に入れたのか。通販か? この令嬢が、スマホで『くすぐり 拘束具』などと検索している姿を想像すると、何とも言えない気持ちになる。 ベッドが軋む音がした。お嬢様が私の横に腰を下ろしたのだ。天蓋付きベッドのマットレスが僅かに沈み、彼女の体温が近くに感じられる。「さあ、始めましょう」 お嬢様の声に、一瞬だけ緊張が走る。 次の瞬間、両手が躊躇なく脇腹に食い込んできた。柔らかな指先が、シャツの上から容赦なく揉みほぐしていく。予想以上に力強い動きに、身体が反射的にこわばった。「んんっ……!」 歯を食いしばり、必死で笑いを堪える。喉の奥で何かが引っかかるような感覚。 今できる最善策は、くすぐりに耐性があると思わせることだ。リアクションが薄ければつまらないだろう。そうすれば、きっとすぐにこの時間が終わるはずだ。「我慢しないで」 甘く囁くような声とは裏腹に、モミモミと揉んでいた手の動きが一変した。指先を立てて、まるで鍵盤を弾くように、皮膚の表面を引っ搔くような軽やかな動きへと変化する。「んっ……ふ……っく! ふはっ……」 たまらず短い笑いが漏れてしまう。さっきまでの圧迫とは違う、電流が走るような鋭い刺激。薄いシャツ越しでも、一本一本の指の動きがはっきりと感じられる。「こっちのほうがくすぐったいんでしょ?」 まずい。お嬢様にバレてしまうほど、明らかに反応が出てしまっている。身体が勝手に跳ねそうになるのを、拘束具だけが辛うじて抑えている。 我慢だ、我慢するんだ。目をぎゅっと閉じ、唇を強く噛みしめる。金属の味が僅かに広がった気がした。「っは、はっ……っふ……くっ……」「もっと大笑いしてほしいのだけど」 少し不満げな声。そして指の動きが加速した。 肋骨の一本一本をなぞりあげたかと思えば、胸の付け根からくびれまで往復する。上へ、下へ。時々予測できない軌道で動き、神経を逆撫でしていく。 手を強く握りしめ、爪が食い込む痛みで意識を逸らそうと試みる。さあ、早く飽きてくれ。頼むから。「ここはどう?」 考えてみれば、目を瞑ったのは失敗だった。視界を塞いだせいで、どこへ攻撃の刃が向かうのか、まったく予測できないのだから。触覚だけが研ぎ澄まされ、あらゆる感覚が増幅されていく。「はははっ!!」 二本の指が、ピンポイントで腋の中心を突いてきた。軽やかに、しかし的確に、最も敏感な部分を刺激する。堪えていた笑いが決壊し、思わず声が弾ける。身体が大きく跳ね、拘束具がガチャリと鳴った。 もう無理だ。我慢の限界が音を立てて崩れていく。 目を開けると、いたずらっ子のように目を細めたお嬢様の顔が、思いのほか近くにあった。頬を紅潮させて、満足げに微笑んでいる。その表情には、普段の清楚な令嬢の面影はない。「わきが弱いのね」 勝ち誇ったような、それでいて無邪気な声。その言葉に、背筋がぞくりとした。弱点を見つけられてしまった。「っふふはっ……っあ!? くぅっ……ははっ!!」 反応を確かめるように、お嬢様の指先がゆっくりと這い回る。二の腕との境目から、腋の最も窪んだところまで。丁寧に、執拗に。一本一本の指の腹が肌の上を滑る感触が、嫌というほど鮮明に伝わってくる。 このままくすぐられたら──もう笑いを堪えきれない! 限界が近づき始めたそのとき、ふいにくすぐりが止まった。指先が離れ、お嬢様の気配も遠ざかっていく。 満足したのか? 終わったのか? 荒い息を整えながら、一縷の希望を抱く。だが、その希望は、すぐさま無残に打ち砕かれた。「失礼します」 丁寧な、しかしどこか悪戯めいた声。 その直後、カチャカチャと金属音が聞こえた。ベルトのバックル。まさか……!?「お嬢様!!」 ズボンのベルトに手がかかっている。いつもは彼女の前で決して出さないような、切迫した声量で制止する。心臓が激しく脈打ち、顔から血の気が引くのを感じた。「安心して。変なことはしないから」 もう十分変なことをしているのだが! 主従の関係を遥かに超えた、あってはならないことをしているのだが! けれど、四肢を黒革の拘束具に捕らえられている以上、物理的に止める方法がない。抵抗しようと身をよじっても、Xの字の姿勢は微動だにしない。 チャックを下ろす音が、やけに大きく耳に届いた。次の瞬間、下腹部にひんやりとした空気が触れる。室温は適温のはずなのに、露出した肌が冷たく感じられた。羞恥心が全身を駆け巡る。──ああ、もうどうにでもなれ。 諦めにも似た感情が胸に広がる。執事としての尊厳も、理性も、もはやどこかへ消え失せてしまいそうだ。「ここはどうかしら」 好奇心に満ちた声と共に、足の付け根──鼠径部の窪んだところに、冷たい指先があてがわれる。その繊細な感触に、全身が総毛立った。「ふはっ!?」 たった一瞬触れられただけで、予想を遥かに超える刺激が走る。今までとは比較にならない、鋭敏な感覚。声が裏返り、身体が大きく跳ねた。拘束具がガチャガチャと激しく鳴る。「あら、ここもすごく弱いのね」 脳内で警鐘が鳴り響くようだった。ここは危険だ、ここは絶対に触れられてはいけない場所だと。 けれど、お嬢様の指は止まらない。そのまま敏感な窪みに指先を押しつけながら、小さく円を描くように、ゆっくりと動かされる。まるで獲物をもてあそぶ猫のように。「うひっ!? くくくっ……っふっはは……!!」「ふふ。腰がビクビクしてるわよ?」 楽しげに囁かれる言葉が、羞恥心を煽る。 耐えようと必死で歯を食いしばっても、隙間から笑いが次々とこぼれ落ちていく。刺激から逃れようと腰を浮かせたり下ろしたりを繰り返すが、どう動いても指は離れない。むしろ動くたびに、新たな角度で刺激が加わる。 もう無理だ──理性の糸が、ぷつりと音を立てて切れた。「ぷっ、はははははっ!! ひっ……ゃっははははは!! はっ、はははっ……やめっ、えっへへへっ!」 一度弾けた笑いは、もう収まることを知らない。堰を切ったように溢れ出す。肺から全ての酸素が搾り出されるようで、息を吸う暇さえない。「あーあ。笑っちゃった」 勝利を確信した、満足げな声。「ひっ、ひゃはっはは!! あっはっははっ!! ひぃぃっ!! っむ、むりっ、ひぃぃっ、ぎゃっははははっ!!」 もういい、こんな無様な姿を見られてもいい! 誰か来てくれ……!! そんな自暴自棄な願いが脳裏をよぎるほど、激しいくすぐったさが全身を支配していた。しかし、その願いが叶うことはないだろう。もし、自分がお嬢様の部屋の近くを通って男の笑い声が聞こえたら、確実に近寄らないからだ。立ち入ってはならない空気を察知して、そっと遠ざかるだろう。「そこむりぃいいっひひひ!! まじでっ、っあはっ、あっははは!! っふ、ふははは!! やばっ、やばいからぁぁぁ!! ひゃっははぁあっ!?」 執事としての言葉遣いも、プライドも、もはや粉々だ。素の自分が剥き出しになっていく。「だったら、『わきのしたくすぐってください』っておねだりして」 指の動きが少しだけ緩む。それは終わりではなく、取引の提示。 この刺激から逃れられるなら……もう何も考えられない。後先考えず、震える声で叫んだ。「わきのしたくすぐってくださいぃぃ!!!」 自分の声とは思えない、懇願に満ちた叫び。それが部屋に響き渡った。 頭がぼうっとする。思考が霞んで、何も考えられない。荒い呼吸がやけに響いた。 ネクタイがするりと解かれる。続いて、シャツのボタンが一つ、また一つと、ゆっくりと外されていく。冷たい空気が汗ばんだ胸元に触れるが、息を取り込むことで精一杯で、それ以上何も気にする余裕がなかった。 お嬢様の冷たい指が、剥き出しになった腋の窪みに、そっと触れた。「ひゃっはは!?」「こちょこちょー」 無邪気な声と共に、十本の指が一斉に窪みをほじくるように動き回る。容赦なく、執拗に、あらゆる角度から。「ぷっはははっ!! ひゃっ、ひゃはははっ、わきはっ!! ふははっ、っはははは!!」「やっぱり、わきが一番弱いのね」 素肌を直接くすぐられることが、こんなにも苦しいとは。布越しとは比較にならない、生々しい刺激が神経を直撃する。どうにかして腋を締めようと全力で試みるが、拘束具が容赦なく両腕を引き伸ばし、最も無防備な状態を保ち続ける。「っふ、はははっ、あはははは!! いひっ、いい加減にっ、はっ、ははっは!! ふへへっ、あは!? やめっ……あははは!!」「ふふ、汗かいてる。かわいい」 観察するような、それでいて楽しげな声。そして指先が、窪みの内側、胸の付け根との境目に移動する。 身体中が熱い。額から汗が滴り落ち、首筋を伝う。顔を振るたびに、濡れた髪の毛が頬や額にへばりついて張りつく。「あっはははははっ!! うひひっ、おねがっ……おねがい、しますっ……くっ、へっへへへへ!! もうげんかいっ……っはは!!」「だーめ。おねだりはさっき聞いてあげたもの」「そんなっ、ぁぁっははは!! うへへへ!? わきはっ、わきはむりっひひひひ!! うひゃっはははっ!!」「わたしが満足するまでわきをくすぐられるの。分かった?」 無慈悲な宣告。両腋から絶え間なく送られてくる強烈な刺激に、もはや耐えられる限界を遥かに超えていた。呼吸をしようと開く口からは、制御できない笑い声と共に涎が垂れていく。目尻から涙が溢れ続けている。「ぶはははははっ!! っあっははははっ!! くっ、くははっ……なんでも、ははははっ!! なんでもしますからぁ……ふははっ、ゆるしてくださいぃぃ!!」 プライドも、尊厳も、執事としての矜持も、もう何もかもが崩れ去った。ただ許しを乞うことしかできない。「うーん」 少し考えるような間。その数秒すら、永遠のように感じられた。「わたしね、理想のくすぐりシチュエーションがいっぱいあるの。付き合ってくれるなら今日はおしまいにしてもいいわ」 選択肢は「はい」しかなかった。首を縦に振ること以外、この地獄から逃れる術はない。必死に、何度も何度も頭を上下させる。 ようやく──ようやく、責める手が止まった。「これからもよろしくね」 満足げに微笑みを浮かべたお嬢様が、汗で濡れた髪を優しくナデナデしてくる。その手つきは、まるで何もなかったかのように穏やかだ。 天使のような悪魔だな。 そう思いながら、荒い呼吸を整えようとする。身体中が脱力して、もう指一本動かせそうにない。 またいつか、いや、きっと近いうちに訪れるであろう、新たな地獄。「理想のくすぐりシチュエーション」という言葉がリフレインする。 これから一体、どんな責めが待っているのだろう。そんな憂いと共に僅かな、ほんの僅かな、抗いがたい期待が、心の奥底で疼くのを感じたのだった。 👏パチパチ 2025.10.28(Tue) お嬢様と執事
くすぐりフェチのお嬢様と執事
「何かお困りごとでもおありですか?」
銀のティーポットを傾け、優雅に紅茶を注ぎながら問いかける。琥珀色の液体が白磁のカップに満ちていく音だけが、静かな午後の部屋に響く。
読書をされていたお嬢様が、ゆっくりとこちらに視線を向けた。いつもなら本から目を離さないのにも関わらず。
「どうして?」
「最近、上の空のようでしたので。今も同じページばかり読まれているようですし」
声のトーンを慎重に選ぶ。詮索がましくなく、しかし関心は示して。お嬢様は本を閉じると、不満げに口を尖らす。
「お父様に探るよう言われたんでしょ」
ギクリ。動揺が表に出ないよう、すぐさま口角を上げる。カップをソーサーに置く手がわずかに硬くなったが、音は立てなかった。
まさしく御名答。数分前、書斎で旦那様から『娘の様子が最近おかしいんだ! 男か? 男ができたのか!? キミ、聞いてきなさい!』と血相を変えて指示を受けたばかりだった。紅潮した顔で机を叩かれる様子が脳裏に蘇る。
「いえ、私が心配なだけです。お嬢様に何かあったのではないかと」
努めて穏やかに、しかし誠実さを込めて言葉を紡ぐ。
疑いの眼差しを向けていた彼女の瞳が揺れ、やがて目を伏せた。長い睫毛が影を落とす。そして──二人しかいない自室であるにも関わらず、きょろきょろと周囲を気にする素振りを見せた。これは大層なお話が聞けそうだ。
小さく深呼吸をしたお嬢様が、か細い声で囁くように言った。
「……ぐり、ぐらって知ってる?」
予想だにしない質問だった。まだ子どもらしさが残っているのだと、思わず吹き出しそうになるのを堪える。
「もちろん存じております。昔よく読んで……」
「違うの」
彼女は両手の人差し指同士をつんつんと突き合わせながら、もじもじした様子で付け足した。普段の凛とした佇まいからは想像もつかない仕草だ。
「……くすぐりたい、くすぐられたいってこと」
一瞬、言葉の意味を理解するのに時間がかかった。なるほど、くす『ぐり』たいとくす『ぐら』れたいを組み合わせた造語なのか。そんな嗜好を、国民的な絵本を連想させるような言葉で表現していいのだろうか。いや、今はそんなことより──。
「それがどうされたのですか?」
できるだけ平静を装って尋ねる。
お嬢様は意を決したように、震える唇を開いた。
「興味が、あるの」
「……ほう」
「小学生の時にね、クラスの子たちがくすぐってじゃれ合ってて……それを見たときにね、胸がキュンとして」
視線は宙を彷徨い、遠い記憶を辿るように。声は次第に小さくなっていく。
フェチに目覚めたということか。まさか悩んでいる原因がこれだったとは。旦那様にどう報告するべきか。『男の影はございませんでした。ただし……』と続ける勇気はない。
ぐいっと袖を引かれる。白い手袋をした小さな手が、必死に制服の袖を掴んでいる。下を向くと、お嬢様が潤んだ瞳でこちらを見上げていた。
「私の相手をしてくれない……?」
「お相手、ですか」
努めて冷静に反芻する。心臓の鼓動が早まるのを感じた。
「今、この欲望で頭がいっぱいなの……お願い」
か細い、しかし切実な声。普段は決して見せない弱さが、そこにあった。
主と仕える者。一線を越えるような真似は許されることではない。だが──。
静かにお嬢様の華奢な肩に手を置く。温もりが白い手袋越しに伝わってくる。そう、これは命令だ。執事として、断ることなど許されない。
「仰せのままに」
「これで完成ね」
彼女の声が弾む。普段は落ち着いた令嬢らしい声音とは打って変わって、子供のような無邪気さが滲んでいた。
純白のキングベッドには相応しくない黒革の拘束具が、身体を容赦なく縛り付けている。いくら手足を動かそうとも、X字の形から逃れることはできない。革が軋む音だけが虚しく響く。
お嬢様が真上から覗き込んでくる。艶やかな髪が肩から零れ落ち、整った顔立ちが視界いっぱいに広がった。そう、拘束されているのは私なのだ。私なのである。
「……お嬢様。一応確認ですが、ポジションにお間違いないでしょうか」
できるだけ冷静に、しかし僅かな期待を込めて尋ねる。もしかしたら順番を間違えただけかもしれない。
彼女はきょとんと首を傾げた後、花が綻ぶようににこやかな笑みを浮かべた。
「ええ。だってわたし、ぐりだもの」
その無邪気な笑顔が、今は悪魔のように見える。
ため息が出そうになるのをぐっと飲み込む。喉の奥で小さく音が鳴った。非があるのは己だ。お嬢様が『ぐら』であると、根拠もなく勝手に決めつけていたのだから。
別に、最初からくすぐられる側だと知っていても受け入れていた。彼女の柔肌に触れたかったわけではない。バレたらただでは済まされない行為を、乱れる姿が見られるという不埒な期待から了承したわけでは──。いや、正直に認めよう。決して高潔な動機ではなかった。
「どうかした? 顔が赤いわよ」
「……いえ。お嬢様が攻め手とは想像しておりませんでしたので」
言い訳がましく聞こえないよう、できるだけ平坦な声で答える。
「やだ、私はくすぐってほしいなんて頼む変態じゃないわ」
胸を張って言い切る彼女。その凛とした表情には、一点の曇りもない。
成人男性を拘束してくすぐりたいというのも大概変態では? という言葉を、必死で飲み込んだ。主人に対して口に出せるはずもない。
というか、そもそも拘束具を一体どこで手に入れたのか。通販か? この令嬢が、スマホで『くすぐり 拘束具』などと検索している姿を想像すると、何とも言えない気持ちになる。
ベッドが軋む音がした。お嬢様が私の横に腰を下ろしたのだ。天蓋付きベッドのマットレスが僅かに沈み、彼女の体温が近くに感じられる。
「さあ、始めましょう」
お嬢様の声に、一瞬だけ緊張が走る。
次の瞬間、両手が躊躇なく脇腹に食い込んできた。柔らかな指先が、シャツの上から容赦なく揉みほぐしていく。予想以上に力強い動きに、身体が反射的にこわばった。
「んんっ……!」
歯を食いしばり、必死で笑いを堪える。喉の奥で何かが引っかかるような感覚。
今できる最善策は、くすぐりに耐性があると思わせることだ。リアクションが薄ければつまらないだろう。そうすれば、きっとすぐにこの時間が終わるはずだ。
「我慢しないで」
甘く囁くような声とは裏腹に、モミモミと揉んでいた手の動きが一変した。指先を立てて、まるで鍵盤を弾くように、皮膚の表面を引っ搔くような軽やかな動きへと変化する。
「んっ……ふ……っく! ふはっ……」
たまらず短い笑いが漏れてしまう。さっきまでの圧迫とは違う、電流が走るような鋭い刺激。薄いシャツ越しでも、一本一本の指の動きがはっきりと感じられる。
「こっちのほうがくすぐったいんでしょ?」
まずい。お嬢様にバレてしまうほど、明らかに反応が出てしまっている。身体が勝手に跳ねそうになるのを、拘束具だけが辛うじて抑えている。
我慢だ、我慢するんだ。目をぎゅっと閉じ、唇を強く噛みしめる。金属の味が僅かに広がった気がした。
「っは、はっ……っふ……くっ……」
「もっと大笑いしてほしいのだけど」
少し不満げな声。そして指の動きが加速した。
肋骨の一本一本をなぞりあげたかと思えば、胸の付け根からくびれまで往復する。上へ、下へ。時々予測できない軌道で動き、神経を逆撫でしていく。
手を強く握りしめ、爪が食い込む痛みで意識を逸らそうと試みる。さあ、早く飽きてくれ。頼むから。
「ここはどう?」
考えてみれば、目を瞑ったのは失敗だった。視界を塞いだせいで、どこへ攻撃の刃が向かうのか、まったく予測できないのだから。触覚だけが研ぎ澄まされ、あらゆる感覚が増幅されていく。
「はははっ!!」
二本の指が、ピンポイントで腋の中心を突いてきた。軽やかに、しかし的確に、最も敏感な部分を刺激する。堪えていた笑いが決壊し、思わず声が弾ける。身体が大きく跳ね、拘束具がガチャリと鳴った。
もう無理だ。我慢の限界が音を立てて崩れていく。
目を開けると、いたずらっ子のように目を細めたお嬢様の顔が、思いのほか近くにあった。頬を紅潮させて、満足げに微笑んでいる。その表情には、普段の清楚な令嬢の面影はない。
「わきが弱いのね」
勝ち誇ったような、それでいて無邪気な声。その言葉に、背筋がぞくりとした。弱点を見つけられてしまった。
「っふふはっ……っあ!? くぅっ……ははっ!!」
反応を確かめるように、お嬢様の指先がゆっくりと這い回る。二の腕との境目から、腋の最も窪んだところまで。丁寧に、執拗に。一本一本の指の腹が肌の上を滑る感触が、嫌というほど鮮明に伝わってくる。
このままくすぐられたら──もう笑いを堪えきれない!
限界が近づき始めたそのとき、ふいにくすぐりが止まった。指先が離れ、お嬢様の気配も遠ざかっていく。
満足したのか? 終わったのか?
荒い息を整えながら、一縷の希望を抱く。だが、その希望は、すぐさま無残に打ち砕かれた。
「失礼します」
丁寧な、しかしどこか悪戯めいた声。
その直後、カチャカチャと金属音が聞こえた。ベルトのバックル。まさか……!?
「お嬢様!!」
ズボンのベルトに手がかかっている。いつもは彼女の前で決して出さないような、切迫した声量で制止する。心臓が激しく脈打ち、顔から血の気が引くのを感じた。
「安心して。変なことはしないから」
もう十分変なことをしているのだが! 主従の関係を遥かに超えた、あってはならないことをしているのだが!
けれど、四肢を黒革の拘束具に捕らえられている以上、物理的に止める方法がない。抵抗しようと身をよじっても、Xの字の姿勢は微動だにしない。
チャックを下ろす音が、やけに大きく耳に届いた。次の瞬間、下腹部にひんやりとした空気が触れる。室温は適温のはずなのに、露出した肌が冷たく感じられた。羞恥心が全身を駆け巡る。
──ああ、もうどうにでもなれ。
諦めにも似た感情が胸に広がる。執事としての尊厳も、理性も、もはやどこかへ消え失せてしまいそうだ。
「ここはどうかしら」
好奇心に満ちた声と共に、足の付け根──鼠径部の窪んだところに、冷たい指先があてがわれる。その繊細な感触に、全身が総毛立った。
「ふはっ!?」
たった一瞬触れられただけで、予想を遥かに超える刺激が走る。今までとは比較にならない、鋭敏な感覚。声が裏返り、身体が大きく跳ねた。拘束具がガチャガチャと激しく鳴る。
「あら、ここもすごく弱いのね」
脳内で警鐘が鳴り響くようだった。ここは危険だ、ここは絶対に触れられてはいけない場所だと。
けれど、お嬢様の指は止まらない。そのまま敏感な窪みに指先を押しつけながら、小さく円を描くように、ゆっくりと動かされる。まるで獲物をもてあそぶ猫のように。
「うひっ!? くくくっ……っふっはは……!!」
「ふふ。腰がビクビクしてるわよ?」
楽しげに囁かれる言葉が、羞恥心を煽る。
耐えようと必死で歯を食いしばっても、隙間から笑いが次々とこぼれ落ちていく。刺激から逃れようと腰を浮かせたり下ろしたりを繰り返すが、どう動いても指は離れない。むしろ動くたびに、新たな角度で刺激が加わる。
もう無理だ──理性の糸が、ぷつりと音を立てて切れた。
「ぷっ、はははははっ!! ひっ……ゃっははははは!! はっ、はははっ……やめっ、えっへへへっ!」
一度弾けた笑いは、もう収まることを知らない。堰を切ったように溢れ出す。肺から全ての酸素が搾り出されるようで、息を吸う暇さえない。
「あーあ。笑っちゃった」
勝利を確信した、満足げな声。
「ひっ、ひゃはっはは!! あっはっははっ!! ひぃぃっ!! っむ、むりっ、ひぃぃっ、ぎゃっははははっ!!」
もういい、こんな無様な姿を見られてもいい! 誰か来てくれ……!!
そんな自暴自棄な願いが脳裏をよぎるほど、激しいくすぐったさが全身を支配していた。しかし、その願いが叶うことはないだろう。もし、自分がお嬢様の部屋の近くを通って男の笑い声が聞こえたら、確実に近寄らないからだ。立ち入ってはならない空気を察知して、そっと遠ざかるだろう。
「そこむりぃいいっひひひ!! まじでっ、っあはっ、あっははは!! っふ、ふははは!! やばっ、やばいからぁぁぁ!! ひゃっははぁあっ!?」
執事としての言葉遣いも、プライドも、もはや粉々だ。素の自分が剥き出しになっていく。
「だったら、『わきのしたくすぐってください』っておねだりして」
指の動きが少しだけ緩む。それは終わりではなく、取引の提示。
この刺激から逃れられるなら……もう何も考えられない。後先考えず、震える声で叫んだ。
「わきのしたくすぐってくださいぃぃ!!!」
自分の声とは思えない、懇願に満ちた叫び。それが部屋に響き渡った。
頭がぼうっとする。思考が霞んで、何も考えられない。荒い呼吸がやけに響いた。
ネクタイがするりと解かれる。続いて、シャツのボタンが一つ、また一つと、ゆっくりと外されていく。冷たい空気が汗ばんだ胸元に触れるが、息を取り込むことで精一杯で、それ以上何も気にする余裕がなかった。
お嬢様の冷たい指が、剥き出しになった腋の窪みに、そっと触れた。
「ひゃっはは!?」
「こちょこちょー」
無邪気な声と共に、十本の指が一斉に窪みをほじくるように動き回る。容赦なく、執拗に、あらゆる角度から。
「ぷっはははっ!! ひゃっ、ひゃはははっ、わきはっ!! ふははっ、っはははは!!」
「やっぱり、わきが一番弱いのね」
素肌を直接くすぐられることが、こんなにも苦しいとは。布越しとは比較にならない、生々しい刺激が神経を直撃する。どうにかして腋を締めようと全力で試みるが、拘束具が容赦なく両腕を引き伸ばし、最も無防備な状態を保ち続ける。
「っふ、はははっ、あはははは!! いひっ、いい加減にっ、はっ、ははっは!! ふへへっ、あは!? やめっ……あははは!!」
「ふふ、汗かいてる。かわいい」
観察するような、それでいて楽しげな声。そして指先が、窪みの内側、胸の付け根との境目に移動する。
身体中が熱い。額から汗が滴り落ち、首筋を伝う。顔を振るたびに、濡れた髪の毛が頬や額にへばりついて張りつく。
「あっはははははっ!! うひひっ、おねがっ……おねがい、しますっ……くっ、へっへへへへ!! もうげんかいっ……っはは!!」
「だーめ。おねだりはさっき聞いてあげたもの」
「そんなっ、ぁぁっははは!! うへへへ!? わきはっ、わきはむりっひひひひ!! うひゃっはははっ!!」
「わたしが満足するまでわきをくすぐられるの。分かった?」
無慈悲な宣告。両腋から絶え間なく送られてくる強烈な刺激に、もはや耐えられる限界を遥かに超えていた。呼吸をしようと開く口からは、制御できない笑い声と共に涎が垂れていく。目尻から涙が溢れ続けている。
「ぶはははははっ!! っあっははははっ!! くっ、くははっ……なんでも、ははははっ!! なんでもしますからぁ……ふははっ、ゆるしてくださいぃぃ!!」
プライドも、尊厳も、執事としての矜持も、もう何もかもが崩れ去った。ただ許しを乞うことしかできない。
「うーん」
少し考えるような間。その数秒すら、永遠のように感じられた。
「わたしね、理想のくすぐりシチュエーションがいっぱいあるの。付き合ってくれるなら今日はおしまいにしてもいいわ」
選択肢は「はい」しかなかった。首を縦に振ること以外、この地獄から逃れる術はない。必死に、何度も何度も頭を上下させる。
ようやく──ようやく、責める手が止まった。
「これからもよろしくね」
満足げに微笑みを浮かべたお嬢様が、汗で濡れた髪を優しくナデナデしてくる。その手つきは、まるで何もなかったかのように穏やかだ。
天使のような悪魔だな。
そう思いながら、荒い呼吸を整えようとする。身体中が脱力して、もう指一本動かせそうにない。
またいつか、いや、きっと近いうちに訪れるであろう、新たな地獄。「理想のくすぐりシチュエーション」という言葉がリフレインする。
これから一体、どんな責めが待っているのだろう。そんな憂いと共に僅かな、ほんの僅かな、抗いがたい期待が、心の奥底で疼くのを感じたのだった。