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再び!幼馴染とくすぐり特訓


「まずい! これはまずい……!!」
 街がクリスマス色に染まる頃。相も変わらず彼は、私の部屋にいた。
 古典の教科書を両手で持って、カタカタと震えている。普段ちゃんと勉強していないことを悔やんでいるのか、それとも室内のエアコンの効き目が悪いからなのか。おそらく後者だ。
 窓の外は、すっかり暗くなっている。まだ夕方だというのに、冬の日暮れは早い。
 私はひとつ、くしゃみをした。肩からずれかけたブランケットを引っ張り上げる。暖房がついているにも関わらず、足先が凍えている。
「これ何語……?」
 困惑した顔で、彼が教科書を睨みつけている。
「日本語」
「えー? オレたち、こんなけりけり言わないし」
「使ってみれば? 何か分かるんじゃない?」
「おお! いいアイデアけりー!」
 彼は意気揚々と謎の語尾をつけた。なるほど、全く理解していないようだ。
 期末テストは、もう目前に迫っている。幼馴染は中間テストのときと同様、またあのお友達二人と点数を競い合っているらしい。そして当然、罰ゲームも健在だという。
「もー、仕方ない! こうなったら!」
 彼は突然、勢いよく立ち上がった。人差し指だけを立てて、天井に向かって右腕を突き上げる。まるでヒーローの決めポーズのように。
「くすぐり特訓、パート・ツー!!」
 ハツラツとした、やけに爽やかな声だった。
 急に頭が重くなった気がする。ひとまず、男のズボンの裾を軽く引っ張った。見下ろす彼に向かってポンポンと床を叩くと、素直に座り込んだ。
「中間テスト、結局どうなったんだっけ。覚えてる?」
「もちろん! 最下位を切り抜けたんだから!」
 彼は胸を張って答えた。妙に誇らしげだ。
「そう。だったら今回も頑張って勉強すれば?」
「まーそうなんだけどさー! オレ、自分の部屋じゃないと集中できないんだよね!」
 ケロリと言いのける幼馴染に、私の眉がピクリと上がった。
 じゃあ帰れ。人のテスト勉強を邪魔しに来るな。
「それにー、対策は多岐に渡ったほうがいいじゃん? 勉強もしといて、くすぐりにも強くなっとけば、オレ無敵じゃーん!」
 ね? と顔を寄せてくる。
 視線をそらし、口を噤んでしまう。ああ、その笑顔が──少しだけ、ずるい。愛嬌のある面持ちが本当に腹立たしい。
「……で? 前回と同じことするの?」
 できるだけ平坦な声で尋ねた。
 どうせ私の意思など関係なく、彼は実行する。ここで言い合うより、早めに終わらせて勉強する時間を守ったほうがいい。──決して、あの日の熱を忘れられないから、じゃない。そう、自分に言い聞かせる。
 こちらの葛藤など気づくはずもない目の前の男は、静かに首を左右に振った。
「いーや、あれじゃダメだね」
「ダメ?」
「だって、笑おうと思えば笑えるじゃん? もっと笑えない状況を作らないと」
「……どうやって」
 彼は悪戯っぽく笑うと、自分のリュックサックから何やら取り出す。テーブルの上に、それをドンと置いた。
 私は、一度、二度、まばたきをした。
「……牛乳?」
 目の前にあるのはまごうことなき、一リットルの牛乳パックである。珍しく鞄を持ってきたと思ったら、こんなものを入れていたのか。
「そう! これを口に含んで、くすぐってもらうってわけ! どう? よくない?」
 彼は得意げに、まるで名案を思いついたとでも言いたげな顔だ。
「……うん。天才みたいな馬鹿って感じ」
「おー? ディスるなディスるな」
 彼は笑いながら、両手をひらひらと振った。全く堪えていない様子だ。
「まー、ほぼオレの部屋といってもさ、汚すわけにはいかないし! これで笑わずに耐えれば、脳も勘違いしてくれるかもー!」
 一ミリだって貴方の部屋じゃない。
 内心でツッコミを入れながら、リュックから新聞紙を取り出して部屋一面に広げ始めた幼馴染を、ただ黙って見つめていた。カサカサという乾いた音が、妙に大きく聞こえる。
「よし!」
 彼は満足げに、両手を腰に当てて立ち上がった。直後、パーカーを脱ぎ、黒のタートルネック一枚になる。なぜ、自分を追い込む真似を……。
「準備オッケー?」
 呆気に取られた私は言葉が出ず、小さく頷いた。何かしなければと、少しばかり指のストレッチをしてみる。グー、パー。グー、パー。指先が、かすかに震えている。
 彼は牛乳パックを掴み、口元に持っていった。
 ゴクリ。喉が鳴った。
「……飲んでるじゃん」
「ちょっと乾燥しててさー」
 こんな大きいサイズを持参して、何回やるつもりなのだろう。一回で終わるはずがない。
 というか──少々、特殊なプレイすぎない?
 多分、いや絶対と断言できる。幼馴染は何も考えていないし、知らない。こういう動画が世に出回っていることも、私が見ちゃってることも……。
「ふふんっ!!」
 籠もった声が響いた。はっ、と我に返る。
 頬をパンパンに膨らませた彼が、こっちこっちと手招きをしていた。口の中に、牛乳をたっぷり含んでいるのが分かる。
 ああ、もう。やるしかない。
 私は膝立ちで、ゆっくりと幼馴染の隣へと移動した。新聞紙がガサガサと音を立てる。
「ふぉーふぉ!」
 何かを伝えようとしている。おそらく「どーぞ」とか、そういう意味だろう。
 彼は、あの日と同じように、ベッドに背中を預けて座っていた。一つだけ違うのは腕組みをしていること。
 深呼吸を、ひとつ。
 それから──私は、両人差し指を伸ばして、彼の脇腹をそっと突いてみた。
 彼の身体が、軽く揺れる。声は出ない。けれど、口の端が僅かに上がっているのが見えた。
 こんな調子で、牛乳を吹き出さずにいられるのだろうか。うん、無理だろうな。
 ならば、何の防備もしていない私が、一番気をつけなければならない。牛乳をかけられたら、たまったものじゃない。
 私は慎重に、指先を動かし始めた。薄手の保温肌着。その表面を、指先がツルツルと滑っていく。
 肋骨まで上げて、骨盤近くまで下げる。上げて、下げて。ゆっくりと繰り返す。ビクビクと、筋肉が小刻みに震えているのが、指先から伝わってくる。
 幼馴染の様子を、そっと伺った。
 ぎゅっと目を固く瞑っている。眉間にシワが寄り、なんとか口を真一文字に結んでいる。頬の中の牛乳が、今にも溢れ出しそうだ。
 もう少し、この微弱な刺激に耐えさせれば、彼の脳は強くなったと勘違いするのかもしれない。
 でも。
 それじゃ、つまらない。
「んんっ!?」
 五本の指先を彼のお腹に当てて、さわさわと動かす。観覧車のように、おへその周りを、ゆっくりと一周する。
 急に変化した刺激に、彼は頭を深く垂れて、必死に踏ん張っている。私はもう片方の手を、無防備な首筋にそっと沿わせた。
「ふふっ」
 彼の身体が軽く捻れた。
 私は指先を、顎の下から左右へと移動させてみた。すると、耳たぶ下方あたりで彼の肩がピクッと跳ねた。
 ここが、弱いらしい。
「んぐっ……!」
 籠もった声が漏れる。
 私は爪先を優しく這わせるように、首筋から鎖骨の前まで、ゆっくりと上下させる。繊細に、丁寧に。
 お腹と首筋、二箇所から同時に与え続けられる刺激。それに耐えられなくなったのか、彼の口の端から、一滴ほど白い雫が溢れた。
 私は一度、くすぐりの手を止めた。親指でそっと、その一滴を拭う。
 彼の肩が、激しく上下している。瞳を潤ませて、何か言いたげな表情だ。けれど、本当に嫌なら、牛乳を飲み込んで終わらせるだろう。
 だから、無視しよう。
 私は再び、両手を動かし始めた。
 今度は、彼が履いているスウェットパンツの両ポケットのあたりに、手のひらを置いた。下腹部にあたる部分だ。その窪んだところを、親指の第一関節でクニクニと押し込む。
「むふふっ!?」
 幼馴染の目が大きく見開かれた。
 くすぐりには、『ツボ入れ』という技法があるらしい。力を入れすぎると痛みを感じさせてしまうようだが、彼にはくすぐったさのみが伝わっている。
 はず。
「んんんぅ!!」
 彼の声が大きくなる。
 くすぐり方について、自分の意思で調べたわけじゃない。また幼馴染が変なことを言ってくることを予期して、だったら色んな角度から責めてあげたほうが特訓になると思っただけ。それだけ。
 彼は身体を仰け反らせる。けれど、私の親指は、腹部から離れることはない。指先を食い込ませて、優しくコリコリと刺激し続ける。
「んぐぐぐっ!!」
 声量がさらに増したところで、口端から顎まで、牛乳が一直線に流れていく。
 あ、これ、続けたらやばそう。私は慌てて、親指を離した。
 彼は、ゴクリと牛乳を飲み込んだ。喉仏が大きく上下する。
「ぉ、オレの勝ちぃ!!」
 突然震える声で、そう叫んだ。
「……は?」
「はぁっ……っは……、だっ、だって、吹き出してないしー?」
「いや、吹き出す直前だから止めたの」
 私は事実を告げた。崩壊ギリギリだっただろうが。
「いやー? オレは耐えれたよー?」
「……自分の顔見たら?」
 私は、一つため息をついた。
 幼馴染は、はっとしたように袖口で、顎から垂れていた牛乳を慌てて拭った。その姿に自然と、くすくす笑いがこぼれた。
「そんなに言うなら、もう一回やる? 次は止めないから」
「おー? 受けて立ちますけどー?」
「じゃあ、次は両腕上げて」
 私がそう指示を出した途端、彼の目が泳ぎ始めた。
 ああ、やっぱり。
 始まったときから、違和感があったのだ。前回は手のひらを頭の上に乗せていたのに、今回は腕組み。まるで、弱いところを隠しているかのように。
「……それはさ……」
「それは?」
 縮こまる彼をじっと見つめた。
「その……」
「その?」
 言葉を促す。幼馴染らしからぬ、歯切れの悪い、濁らせた返答。
 しばらくの沈黙の後、彼は意を決したように背筋を伸ばした。そして、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「腋、死ぬほどくすぐったいから!!」
 部屋中に響き渡る告白に、私は目をぱちくりさせた。
「……ん?」
「いや、ほんと、びっくりするぐらい……! 前、こちょこちょされたとき、『あ、これずっとやられたら笑い死ぬわ』って思ってさ!!」
 彼は早口で、まくし立てる。
「……へー」
「ほんと神様って、いらん弱点つくるよなぁああ!!」
 幼馴染が天井を仰いでいるのを横目に、私は口元を手で隠しながら、笑いを堪えていた。
「けど、強くなりたいんでしょ?」
 私は、なんとか真面目な声で尋ねた。
「そうですね……」
 何故か敬語を使い始めた。珍しく、弱気な姿勢だ。両手を膝の上に揃えて、少し俯いている。
 なんだか可愛い。それに、もっと──。
「じゃあ、頑張って」
 私は牛乳パックを手に取り、差し出した。彼は眉を八の字に下げて、渋々といった様子で受け取る。口に含む。
 先ほどより、頬の膨らみが明らかに小さい。おそらく、もう吐き出す前提なのだろう。
「両手は頭の上」
 幼馴染の両手首をそっと握ると、抵抗を感じた。わずかに力が入っている。けれど、もう逃げ場はないと悟ったのか、おずおずと両手を頭の上に乗せた。
 大きく開かれた、弱点の腋。
 その中央を──私は人差し指で、時計回りにゆっくりとなぞってみた。
「んふふっ……!!」
 瞬間、彼の身体が捩れた。
 弱い刺激なはずなのに、この反応。腋はくすぐったいものだという刷り込みが、彼を過敏にさせているのかもしれない。
 鼓動が、早くなっている。彼も――そして、私も。きっと、お互い意味は違うはず。分かり合う必要もない。
 五本の指先を、腋の窪んだところに持っていく。触れるかどうか、ギリギリのところに当てる。
 幼馴染が反射的に腕を下ろそうとする。私は左手で、頭に置かれた手を軽く押さえた。彼は、瞳を潤ませて、嫌だ嫌だと頭を左右に振っている。
「んーん!! ぐっふふ!!」
 私の指先が動き出すと、彼は悶えた。
 爪先が、彼の肌にわずかに触れる。優しく、優しく。一本一本バラバラに、かき混ぜるように動かす。
「ぬっふふ!? ふふふ!!」
 彼の腋が、じっとりとした熱を帯びていく。指先に伝わる、湿った感触。
「んんんっ!!」
 ​彼は深く俯き、身体を震わせていた。
 その表情を、もっと近くで見たい。見逃したくない。自分でも驚くような加虐心に突き動かされ、私は思わず顔を近づけて覗き込んだ。
 それが、いけなかった。
「ぶぅはっっ!!」
 ​次の瞬間、生温かい白い液体が、私の視界を真っ白に染めた。顔、首筋、そして胸元へ。重たい液体が肌を伝う。
「ぁぁぁああっ!! ぜんぶかかった!! ごめん!! まじごめんっ!!」
 幼馴染がパニックを起こしているようだ。
 私は瞼を閉じざるを得ず、彼の姿を捕えることはできない。けれど、足音だけで落ち着きのなさは伝わってくる。
「ティッシュは、本棚の上」
「あ! あれか!!」
 ティッシュを何枚か引き抜く音がする。
 さて。なにをしているんだ、私は?
 ノリノリで彼をくすぐりで追い詰めて、返り討ちに遭って。そんなことをしている場合か、勉強をしろ。勉強を。
 熱くなっていた頭が、牛乳のおかけで急速に冷えていく。今になってエアコンの効き目が良くなったようだ。
「じっとしてて!」
 幼馴染が戻ってきたようだ。この勢いのまま、顔面に押しつけられたら、首やられるんじゃないだろうか。もういいかそれでも。
 半ばやけになっていると、ティッシュがそっと私の肌に触れた。驚くほど丁寧な手つきだった。額、頬、鼻、顎。一つ一つ、慎重に拭ってくれている。
「……あのさ」
 やけに真剣なトーンで、彼が呟いた。
「なに?」
「オレ以外と、こんなことしないほうがいいよ」
 いや、誰がするか。牛乳含んでるところをくすぐって、などと提案してくる人間は他にいないから。と、心の中で即座にツッコミを入れる。
 タイミングを見計らって、私は薄っすらと目を開けた。視界がぼんやりと明るくなる。想像より近い距離に、幼馴染の顔があった。
「……ありがとう」
「いや……どういたしまして」
 なんだか気まずい雰囲気。そういえば、普段の幼馴染なら『おもろい顔ー!』と写真撮ってきたり『手加減しない罰だー!』とか茶化してきそうなのに。
「……撤収しまーす」
 新聞紙を拾い始める彼の横顔を眺めた。ほんのりと赤く染まっている耳。彼も我に返ったのだろうか?
 私は一人首を傾げた。
👏パチパチ

幼馴染